ロイリザSS72













午後のスケジュールの最後は、新設の発電所の視察であった。
しかし、ロイが執務室に戻った時刻がすでに規定をとうに過ぎていたのである。その
後の予定が遅れ通しになるのは目に見えていた。
ふっつりと黙ったままハンドルを握るリザの横顔を、ロイは複雑な目で後部座席から
気にしていた。


遅れて戻った詫びを何度となく口にしかけても、リザは曖昧な表情でまともに取り合
わず、皆まで言わせなかった。
怒っている風でもないが、どこか拒絶されているような気もする。
いや、そもそも勤務中は冷淡に接するようにというルールを立てたのはロイの方だ。
彼女にしてみれば、単にそれを生真面目に厳守しているつもりかも知れない。
それとも、ただでさえ近すぎて息苦しいのだ。少しでも無駄なやりとりは避けたいと
の思いがあるのだろうか。
むろん、憶測は憶測でしかなかった。
(まるで思春期だな……)
ロイはいい加減情けなくなり、密かなため息をつく。
どんなに互いの胸の内を見抜いた気になっても、言葉にして確かめ合うまではただの
虚構にすぎない。
もう長いこと、彼らは互いにそれを分かっていて、気付いてもいない振りをしていた。
ごまかしの効くタイムリミットを2人してカウントしながら、内実はその期限におび
え、互いの想いに向き合うのを2人して恐れていたのだ。
そしてなおも驚くべきことには……そういったわだかまりがあってさえ、彼らが双子
の兄妹のように息の合うペアであることに変わりはなかったのである。
ペンをと思えばペンを、印をと思えば印を差し出す彼女をそばに感じるほどに、まる
で1つの頭脳を共有しているかのような錯覚にとらわれ、ロイはしばしば頭を振って
自分を取り戻した。
思考の時差がない……。
それは出会った当初から気付いていたことだ。
肌を重ねたこともないのに、彼らには最初から同じ体温がかよっているようだった。
この上、彼女をものにしてこのバランスを崩せば、自分はかえって大切な存在を失う
ことになりはしないか。
(……駄目だ。何もかも言い訳だな)
いつかは通る道。ヒューズはそう言った。
その通りなのだ。このままでいられるわけがない。
けれど……。
心の奥底で燃える暗い野望を思うとき、ロイはどうあっても、愛する者を同じ焔にく
べる勇気を持てないのだった。





市街中心部をはさんで、工業地帯とはまったくの反対側にあるロイの私邸の前でリザ
が車を停めたとき、時計はすでに午後22時を回っていた。

「やれやれ……悪かったな、准尉」
「いいえ。お疲れ様でした」
「ええと、明日の朝イチの予定は何だったかな」
「明日は午後からです、少佐」
「そうだった。助かったな。他に連絡事項は?」
「特にありません」
「そう。じゃあ君も早く帰りたまえ。お休み」
「あの……いえ、一つだけ……どうしてもお話ししたいことが」
「ん?」
ロイが振り返ると、リザはつと視線を逸らした。
彼がいぶかしげに眉を寄せると、彼女はロイの顔を見もせずに、小声で言った。
「少佐……わたしを明日、更迭して下さい」
「なんだって?」
「これ以上、あなたの副官を務められません」
「……どういう意味だ?」
すると、初めて見るような切ない表情で、リザは彼を見つめた。
「昼間……どうしても急な用で、あなたを探しに行って……ヒューズ少佐とのお話を
聞いてしまいました」
「!」
ロイは酔いが醒めたように目を見開いた。
苦しみに耐えているような声で、リザは後を続けた。
「ヒューズ少佐が、紙コップにメモを……よく聞いておけ、上官命令だと……それで、
それでわたし……」
はたと思い当たった。
そういえばあの時、あいつは不自然にゴミを放り投げていなかったか。
では、あの後のやりとりはすべて誘導尋問だったというわけか!?
(……あのお節介……!)
「部下として、いいえ私人としても、許されない行為でした。ですから……」
リザの声が途切れた。
重苦しい沈黙が彼らの間に横たわった。
あやうい均衡を失って、露わになろうとしているものがあった。
嫌というほど分かり切っていることだった。
ただ、一言。
答えは目の前に投げ出されてあった。
「……来たまえ」
「……少佐!?」
ロイは不意に彼女の腕をつかむと、引きずるような勢いで家の中へと連れ込んだ。





ドアが閉まると、2人分の息遣いが玄関ホールに響いた。
動転のため、電灯のスイッチを探し出せないロイの耳に届いたのは、小声だがはっき
りとした告白だった。
「お慕いしています、少佐」
「……」
 壁を探るロイの手が自然に止まる。
「本気で申し上げています。ですからどうぞ、わたしを明日、更迭してください」
「……なぜ?」
「なぜ、ですって?こんな気持ちのまま、あなたの副官を続けることなんてできませ
ん!でも、前線に行く前にわたしが辞表を出せば、それは周囲から怪しまれるでしょ
う。あなたの足枷になりたくないんです!ですからどうぞ、少佐みずから更迭なさっ
て……後生ですから!」
押し殺した悲鳴のようだった。
不意に想像もしなかった喪失感が押し寄せ、ロイは夢中で叫んでいた。
「馬鹿な!無理だ!できない!君あっての私だよ。知っているだろう!」
闇に慣れてきた目に、彼女の真剣な顔がすぐそばで見上げているのが映った。
「それなら、今ここで抱いて下さい」
「……何を言い出すんだ」
ロイの狼狽とは裏腹に、リザは毅然としていた。
「わたしたち、このままではもう前に進めないと思います。わたしを愛して下さって
いるのでしたら、せめて傷ものにして下さい」
「君はまだまだ私が分かってないんだな!」
「そんなことありません!あなたこそ、これ以上自分をだまさないで!」
「分かってないだろう?私は、嫌なことは死んだってしない主義だ!」
リザは衝撃を受けたように黙り込んだ。
ロイは疲れ切った様子でその場にどさりと座り込んだ。
灯りをつける気など、とうに失せていた。
人生で最も無様な自分を自覚して、彼は顔を両手でおおった。
「悪かった……リザ、違うんだ……。私は、嫌じゃないことは断れない男なんだ。だ
から、君にそんなことを頼まれたら困る……そう言いたかったんだよ……」
トーンの落ちた、うめくような彼の声に、リザは耳をそばだてていた。
「ああ、心底情けないな。君から言わせるなんて最低もいいところだ……。私の方こ
そ今まで何回……いや何百回、それを言おうとしたか分からないのに……」
「少佐……」
ロイは頭を垂れて両手を床につき、まるでリザに土下座をするような恰好をした。
驚いた彼女が手を伸ばすよりも、声の方が早かった。

「降参だよリザ。この通り降参だ。……君が好きなんだ。本当に本当だよ」








長い沈黙が落ちた。
ロイが恐る恐る顔を上げると、リザはまだ同じ姿勢でたたずんでいた。
「やっと……言って下さったんですね……」
おや?と思った。彼女は静かに泣いていたのだ。
「知っていました。ごめんなさい。全部知っていたんです」
ロイは目を閉じて、肩を落とした。
「……そうだな。私も知られていることを知っていたよ」
「ええ。この一年、ずっと隣りにいたんですもの……。あなたの言葉、他人への反応、
ちょっとしたしぐさ……全部見てきたんですもの。わたし、もう何でも知っています。
あなたが、深い感情を外に出さない人だということも。そうでしょう少佐? 軽口も、
女の子への口説き文句も、偉そうな自慢話も、全部、あなたのほんの表面での出来事。
だからわたしは、あなたの言葉を聞き流して、あなたが何を言わなかったかにだけ気
をつけるようになったんです」
「……」
呆気にとられているロイに、リザは泣き顔のまま微笑んでみせた。
「ご自分でお気づきでしたか?周囲の女性士官たちを筆頭に、事務局の女の子や清掃
係の子たちまで……あなたを取り巻く女性たちの中で、あなたの愛の告白を受けてい
ないのはわたしだけだったんですよ」
「……」
「詰めが甘いですね、少佐。わたしは、生粋の軍人の家系の娘。あなたの本心くらい、
難なく見破ってしまう女なんですから」
責める言葉を口にしながら、彼女の顔はあふれるほどの安堵で満ちていた。
ロイはほろ苦い笑みを浮かべて、優しく彼女を制した。
「もういい、もういいよリザ……。君がそんなに辛い思いをしていたなんて知らなか
った。許してくれ……私の方が認識が甘かったんだ。今さら覚悟もなかったんだな。
君は初めから一緒に戦ってくれていたんだ……」
リザは身をかがめて、懇願するようにロイの瞳をじっとのぞき込んだ。
「連れて行って下さい……どこへでも」
「うん。君がどんなに足枷になろうと……連れて行くよ」


互いの手が伸べられ、互いの頬に触れる。
どちらからともなく重ねられた唇……。
それはもう、今までのようなたわむれのキスではなかった。
ロイが彼女の腰を引き寄せ、バランスを失った彼女がその胸に倒れ込む。
その重みで後ろへと倒れながら、いつしかロイは満たされてゆくものを感じていた。
「……あなたのものにして」
吐息のように耳元でささやかれた声は、かすかな震えを含んでいた。
そのやっと肩の辺りまで伸びた金髪を優しく梳きながら、ロイは諭すように言う。
「リザ……最初くらいは手順を踏ませてくれないか」
「?」
「あっちだ」
暗がりの中で、ロイは家の奥を指さしていた。
「突き当たりがバスルーム。その横が寝室。……すぐに行くから」
瞬く間にリザは耳まで赤くしたが、暗すぎてロイはそれに気付かなかった。




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