Turn Of The Fortune











食堂は混雑していた。
普段どおりのはずの風景に、心なしかの違和感を敏感に嗅ぎとり、彼は足を止める。
周囲からいくつかの意味深な視線を受け止め、ふと不快を覚えた彼は、急にきびすを
返してもときた廊下を戻り始めた。
(無理もないか。)
イシュヴァールでの泥沼の交戦状態に終止符を打つために、強硬派の上層部が決定し
た打開案は、国家錬金術師の戦場派遣であった。彼は例によって正規でない道筋から
その決議の様子をすでに耳にしていたのだが、ついに今朝方、正式な発表がなされた
のである。
(ふん。人間兵器の顔を確かめておきたいということか?)
すれ違う下士官たちの敬礼の下にさえ、隠せない興味の色を見抜いて、彼は内心で毒
づいた。
出口の近くで親友と鉢合わせした時には、少なからずホッとした。
「あれ、ロイじゃねぇか。昼メシこれからか?」
「ああ。外で付き合わんか。食堂は落ちつかん」
ヒューズはすぐに察して、傍らの部下に何やら指示を出し、ロイと並んだ。


「視線がチクチクするんだろ。無理もないよなぁ」
サンドイッチを頬張りながら、ヒューズが友人を見やった。
ロイは相変わらず不機嫌な表情で、もくもくと食事を続けていた。
中央軍施設の広大な敷地の一角に設けられた、自然公園の中である。
2人とも上着を脱ぎ、芝生の上に座り込んでいた。
士官学校時代、時おり訓練を抜け出しては昼寝や読書にふけった、彼らにとっては馴
染みの場所である。
「だけどそんなもん、いちいち気にしてどうする。お前そんな繊細な玉か?」
「そんなことは些細な問題だ。問題ですらない。実は……悩みの種は別にあってな」
いつになく歯切れの悪いロイを横目で見るうちに、ヒューズはすぐに思い当たった。
「ああ、なんだ。リザちゃんのことだな?」
「相変わらずの読心術だ」
「ははは。お前は錬金術、俺は読心術」
楽しそうにアイスコーヒーを流し込んでから、お見通しだよ、とヒューズは続けた。
「確かになぁ。どうするつもりだよ?副官なら連れていかなきゃ仕方ないんだろうが、
彼女、まだ実戦の経験がないだろう」
「ああ。本人は行く気満々だ。しかし……」
「連れていきたくないわけね?」
ロイは無言でうなずいた。
ヒューズは嘆息して、まだ少女の面影を残す彼の副官の顔を思いうかべる。
「あの娘もなぁ、生真面目すぎる娘だから。お前ら、もしかしてうまくいってないの
か?」
「別に。仕事に関しては完璧なパートナーだよ、彼女は」
「俺が聞きたいのはプライベートに関してだ。どの程度進んでるわけ?」
肩をすくめ、それでも正直にロイは答える。
「食事を月に2、3回。友情のキス付きで。その程度」
「おいおい……天下のマスタングがまだ寝てもいないってか?信じられねえな」
「無理に誘ってはいないからな」
「お前が無理強いしないってのも異様だよ。本当は好みじゃないとか……いや、逆だ
な? お前、心底から本気なんだろう」
「ややこしい事になってきたのは確かだ」
「どこが?簡単な事だろ。本気すぎて手を出せないんじゃないのか、リザちゃんに」
「……どうだかな」
ヒューズは自分と目を合わせようとしないロイを、物珍しそうに眺めた。


周囲から容赦ないとか手段を選ばないなどと評されるこの親友が、実はただ自分に馬
鹿正直に生きているだけだということを、ヒューズは最初から見抜いていた。
欲しいものしか欲しがらないが、手に入れたければ絶対に手に入れる……というロイ
独特の所有欲は、むろん彼の女性関係にも顕著にうかがえた。
百戦錬磨、手当たり次第のようにアピールしてはいるが、この親友が噂ほどには女性
経験が豊富でないことを、恐らくはヒューズだけが知っていただろう。
それなのに……「足枷になるような女は御免だ」と公然とうそぶく男が、側近の中で
最も彼に密着した地位である副官として求めたのは、まだ十代のリザ・ホークアイだ
ったのである。
周囲はもちろん、この人事を彼女の祖父に対するロイの追従と見て、恰好の攻撃材料
とした。しかし、ヒューズはまったく別の感慨をもって親友の行動を見守っていた。
彼にだけは思い当たったのである。
この尋常でない親友が、ようやく「野望」の他にも人生に不可欠なものを見つけたの
だと。


「じゃあ、下世話な話、彼女はまだ……真っさら潔癖なんだな?」
「……少なくとも、私は何もしてない」
「馬鹿。お前より先に男がいたんなら、彼女が軍に来るはずないだろ。……そりゃ大
問題だ。前線になんか連れていけるわけないな。付きっきりで保護しなきゃあ」
「将軍との約束もあるしな。しかし……場所が場所だ」
「うん……危ないのは敵さんだけじゃない。血迷った野郎共の巣だからな」
「臨時の副官を使う手もあるが、イシュヴァールに何年かかるかわからないだろう」
「ロイ。ものすごく簡単な策があるのを忘れるなよ」
「……」
「この際、リザちゃんを幸せにしてやれ。いつかは通る道なんだろ?」
「……私は普通人のようにはできない。前も言ったな。世間的な幸せを望む資格なん
か、最初からないんだ」
「またそれか。いいか?それがお前の弱点なんだよ」
怪訝な、というよりは意表をつかれた顔で、ロイは聞き返した。
「弱点、だと?」


ヒューズは飲み終えたコーヒーの紙コップを潰し、少々離れたダストボックスへと力
いっぱいに放った。ゆるやかな放物線をえがいたものの、それはわずかに目的の場所
からは逸れて落ちた。
不満げに舌打ちをしてから、ヒューズは表情を改めた。
「いつか話したかったんだ。お前の野望はな、そりゃ、俺も貴重に思ってる。でもお
前、自分だけトップに就いたらそれでいいワケか?お前を除く一般の人間は、全員が
普通の世間的な幸せを望んでるんだぜ。トップに就こうって奴がそれを分からないで
どうする?だから……お前だって望んでいいんだよ。いや、他を押しのけたって望む
べきなんだ。もっとプライベートな幸せも追求しろ」
「それは、彼女に言ってくれ」
「あのな、生真面目なリザちゃんがそんな行動に出るはずないだろう?きっとお前の
足枷になるまい、なるまいって必死に自分を押さえてんだよ。思い当たらないか?」
「うん……分かっている……」
「おいおい、なんて情けない男だ。いいか?愛ってのは生ものなんだ。新鮮なうちに
味わっておくのが一番賢いんだよ。お前、今までさんざん女がいたくせに何を学んで
きたんだ」
「お前はやっとつかまえた女ひとりからそんなに学んだのか?」
「逆襲してごまかすな。グレイシアとリザちゃんは、同じ女でも全然違うだろう?」
「……」
またヒューズ十八番の「おのろけ劇場」が始まるのかと、ロイは一瞬身構えたが、ど
うやら相手にはその気はなさそうだった。
「この際だから言うけどな。あの娘がお前のとこに来てくれて、俺は本当はホッとし
たんだぜ。俺だって、お前の前進をいくらでも支えてやりたい。でも、野郎同士じゃ
どうしたって足りない部分がある。それに……俺は、自分のプライベートな幸せだっ
て求めたい。だから、お前と心中することはできない。分かるよな?」
「ああ……でもお前、最初は眉を逆立てて反対しただろう?」
「当然だ。軍の中で女を作るなんて、敵にトン単位で塩を送るようなもんだと思った
さ。でも……リザちゃんはそういう女じゃなかった。あの娘はな、ただお前を慕って
るわけじゃないんだ。お前の「半分」になろうとしてるんだぜ。いいか、お前と心中
する覚悟なんだよ。どこへ行っても、何が起こっても、お前の重荷が「半分」になる
ように考えてる。ずっと付いてくるか?って聞いたら、100%イエスと答えるだろう。
俺が保証するよ」
「……」
「つまり、あとはお前次第だってことだ。彼女を生涯の副官として選ぶか、後顧の憂
いとして放っとくか。なんならクジ引くか?」
「……ヒューズ。お前楽しんでるだろう」
ヒューズは悪びれもせずに空に向かって笑った。
「あっはっは。当たり前だろ。悪友が長年の年貢を納めるのをこの目で確かめたいん
だ」


ロイは眉間に縦じわを刻むと、不意に芝生の上にばたりとひっくり返った。
その顔を、ヒューズが笑いを納めきっていない表情でのぞき込む。
「なんだよ怒ったか?」
ロイはふん、と言って目を閉じた。
「別に。核心を突かれすぎて言葉もないだけだ」
「俺だって意外だ。ここまでお前が保守派だったなんてな」
目をつぶったままで、ロイはつぶやいた。
「始めはな……それは楽しかった。月並みな話だが、妹ができたようでかわいくて、
平気で抱きついたりしてた。でも、毎日顔を合わせてるうちに何だかぎくしゃくとし
てきて……。これだけ長いこと一緒にいるとな、お互い胸の内なんて丸見えなんだ。
なのに……どうしてうまくいかないんだろうな」
ロイの言葉は質問とも独り言ともつかず、ヒューズは真顔になって嘆息した。
「愛してる、とも伝えてないのか?」
「そんなありふれた言葉、とっくに超えてる気がする」
ヒューズはふと気付いて聞き返した。
「お前……そうか。彼女がイエスと答えるのが分かってるから手出しできないんだな」
「……」
答えは返って来なかったが、痛いほどの肯定をヒューズはその無言に感じた。
「重症だな……。まぁいい、助言はしたぞ。言っとくが、出征の時にお前の副官が代
わってたりしたら、俺たちの友情もそこまでかも知れんぜ」
「……」
反応のない親友に肩をすくめ、ヒューズは先に戻るわとつぶやいて自分の持ち場へと
帰って行った。


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