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その時である。
突然、隣接した大広間で銃声が響き渡った。
「!?」
2人は同時に腰を浮かせ、顔を見合わせた。
広間から複数の女性の悲鳴と怒声が聞こえ、もう一度銃声が響き渡った。
マスタングはリザを制して椅子を蹴り倒し、部屋を駆け抜けた。
彼女がすぐ後に従うと、青年は振り向いて低く叫んだ。
「ミス・ホークアイ! 君はここにいたまえ!」
「でも、貴方には武器がないのでは!?」
会場のレセプションにおいて参加者のすべてが銃を預けていることを、彼女
は無論知っていたのである。
しかし、マスタングは片頬をゆがめて笑った。
「私には銃など必要ないのでね!」
「!?」



大広間では、人々がざわめきつつ凍り付いていた。
誰かが大声で何かをわめき散らし、それを遠巻きに大勢の軍人たちが取り囲
み、口々に説得に当たっているようであった。
人垣をかき分けて、マスタングとリザは前へ進み出た。
そして、犯人らしき壮年の士官に人質として銃を突きつけられている人物を
確認したとき、彼ら双方の顔色が変わった。
「お祖父様……」
「将軍閣下!?」
犯人の男は、凄まじい形相で声を荒げながらわめいていた。
「諸君、もう分かっただろう! 奴らの考えはこうだ! 出征に次ぐ出征で
この国の人間を減らし、一国を滅ぼそうという魂胆なのだ! もう分かるだ
ろう!? 今の内に軍をなくすしかないんだ! 今ならまだ間に合う!この
国から軍人を一掃するんだ!!」



後ろから肩を羽交い締めにされ、こめかみに銃を当てられた祖父を見た時、
リザの思考のどこかが沸点に達した。
こういう時、彼女の精神の気温はむしろずっと低くなるのだ。
彼女は前方を見つめたまま、無意識に両腕を広げて人々を制した。
「皆さん、どうぞ伏せていて下さい!!」
「君、何をするつも……うわっ!?」
制止しようと腕を伸ばしたマスタングの身体は、ものの見事に後ろに突き飛
ばされていた。
「!?」
わけも分からず、必死で上体を起こした青年の目の前に広がったのは、世に
も鮮やかな光景であった。
淡いブルーのドレスがバレエダンサーのように高く蹴り上げられ、一瞬露わ
になった細い足の内側から、白い手が神速で銃を抜き取ったのである。
2発の銃声は、彼女が銃身を手にするのとほぼ同時に聞こえた。
ほとんど呼吸も忘れて、マスタングはその華麗な抜き撃ちに魅入った。
「あああああああああ!!」
恐ろしいまでの正確さで、犯人は両ひざを撃ち抜かれていた。
将軍は即座に横に飛びのいて逃れ、人々に助け起こされた。
ようやく駆けつけた警備兵たちが、床を転げ回る男に殺到してゆくのを確認
してから、マスタングは立ち上がった。



まだ銃を構え、前方を見据えたまま、リザは大きく息をついていた。
乱れた金髪が上気した頬に張り付き、彼女は生き生きとして見えた。
安心させるように青年がその肩をそっと押さえると、薄い服地の下で彼女の
身体がびくりと緊張した。
大活劇の本人とは到底思えぬその肩の細さに、マスタングは保護欲にも似た
ある種の感情を強く覚えたが、自制した。
リザはようやく腕を降ろすと、申し訳なさそうな顔をマスタングに向けた。
「……突き飛ばして、ごめんなさい……」
青年はその夜初めて、心からの賛辞をこめて微笑んだ。
「いいんだ。大したお嬢さんだよ、君は」
勇気ある少女の技量に感嘆し、人々の輪から自然に拍手が起こる。
はにかんだように、ふと脱力しそうになる彼女を、マスタングが支えようと
した時であった。



再び銃声が何度も響き渡り、人々の間から次々に悲鳴がもれた。
「気をつけろ!」
「危ないぞ!」
振り向いたマスタングの目に、銃を乱射しながら床を這って近寄ってくる男
の姿がうつった。
油断した警備兵が逆に武器を奪われたらしい。青年は舌打ちをした。
人々は今度こそパニックに陥り、我先に出口に向かって逃げ出しつつあった。
リザは緊張した面持ちで銃のチャージを確かめていたが、青年が自分を庇う
ように一歩前へ出たのを見て、鋭く叫んだ。
「危ないわマスタングさん!!」
「下がっていたまえ。これ以上、君に上前をはねられたら困るんだ」
「えっ!?」
怪訝な面持ちで後ろに下がりつつ、リザはふとマスタングの片手にはめられ
た手袋に気付いた。
その手を前方に伸ばし、彼はつまらなそうな口調で付け加える。
「手追いの相手ではいささか役不足だがね」



次の瞬間、耳を裂くような爆発音と共に、犯人の男は火炎に包まれていた。
リザは大きな瞳を見開いて、そのあり得ない光景を見つめた。
(……焔の……錬金術師……)
見る間にくずおれてゆく男の絶叫も聞こえないほどに、彼女はこの悪魔のよ
うな技に魅せられていた。
なるほど、こんな強大な能力を持っていれば、人は尋常でない望みを抱きた
くもなるのだろうか……。
リザは、不遜な人間がそれを納得させるだけの力量をもって他人に畏怖を覚
えさせるのを、生まれて初めて見たと思った。









マスタングはさっさと手袋をはずすと、両手を大袈裟にぱんぱんと払った。
「……さてと。後始末をしてくるよ。君のことは事件解決の協力者として報
告するが、かまわないだろうね」
「でも……銃を隠していたことは?」
「将軍閣下の護衛のためと言いたまえ。以前から狙われていたと証言すれば、
いくらでも納得させられるだろう。しかし……ふぅ、まさかこれだけで中佐
の辞令なんか頂けるはずもないな……」
「マスタングさ……」
呼び止める間もなかった。
青年は警備兵のもとへ走り寄り、あれこれと事後処理の指示を出し始めた。



ほどなく、主催者である中央軍の大将自らが現場へ姿をあらわした。
マスタングの敬礼を受け、大将がその労をねぎらっている様子を遠目に眺め
ながら、リザはそのあまりの抜け目なさに呆れたような溜息をついた。
(本当は、同じ反逆罪のくせに……)
先ほどの男がわめいていたことに、リザは冷静に一理を認めていたのである。
恐らくそれはマスタングも同じではないか、否、同じに違いないと彼女は確
信する。
しかし、一方はこうしてこらえきれずに暴発して自滅してしまい、一方はそ
れすらも自分の糧として目標に近づこうとしている……。
(善と悪って、紙一重なのかも知れない)
自分の基準がみるみるうちに曖昧になってゆくのを、リザは感じた。
それは未知の価値観であり、今夜彼女が偶然にその存在に気付かなければ、
今後一生の間、出会いはしなかったかも知れない価値観であった。
しかもそれは今や、彼女を迷妄の闇から救い出してくれる予感を秘めていた。
(一つだけ、確かなのは……)
彼女は自分の感情を少々持て余しながらも、もう認めざるを得なかった。
(わたしはあの人を、嫌いではない)
彼女は頭を左右に強く振って雑念を追いやり、祖父のもとへ駆け寄った。