エピローグ




騒動の後とあって、帰りの車はなかなかホテルを出られなかった。
祖父将軍は憲兵司令部への報告のために一足遅れて帰途につくことになった
ので、リザは革張りの後部座席にひとり腰掛けていた。
周囲はやはり、帰途につく軍部の面々たちの車でごった返している。
外の喧噪を窓越しに眺めながら、彼女は祖父の言葉を反芻していた。



「リザ、わしは今まで間違っていたのかも知れんな……」
命の恩人となった孫娘の髪をなでながら、老将軍は確かにそうつぶやいたの
である。
何を間違っていたと言うのだろう。
彼女の幸せは家の台所では得られないということを?
女の幸せは軍隊生活では得られないという偏見を持つことを?
もしそうなら……と、リザは思わずぎゅっと手を握りしめる。
士官学校への進学を、今度は許してもらえるかも知れない。
(そうしたら……)



ふと、リザは車の窓が叩かれる音で我に返った。
はっとして顔をあげると、窓の外には少佐階級の青年が立っていた。
「マスタングさん……」
慌てて窓を下げると、彼は少し腰をかがめて微笑んだ。
騒ぎの中を駆け回ったせいか、後ろになでつけた髪はいつのまにか元通りに
直ってしまったものらしい。
長めの前髪で額の隠れた彼は、先刻よりもずっと親しみやすく見えた。



「もうとっくにお帰りだと思ったよ、ミス・ホークアイ」
「それが……検問を避けるために、いま運転手が掛け合ってくれているんで
す。祖父はまだ帰れないようですので、わたしだけ先に……」
自分の声のはずみ具合に、リザは自分で驚いていた。
何故か、自分の顔はいま確実に上気しているに違いないと思い、夜の暗さに
感謝した。
「今夜は実に愉快だったよ。忘れられない夜になるだろうな」
「わたしもです。パーティーで退屈しなかったのは初めてだわ」
マスタングは苦笑した。
「君は本当に気丈だね」
「正直だと言って下さい」
「ははは。将軍閣下に、くれぐれもお見舞い申し上げるよ」
「ええ、伝えます」
「それから、天才射撃手のお嬢さんにも一言申し上げたい」
「?」
青年はふと表情を改めた。



「もし、君が本当に軍に来る気があるならだが……君にふさわしいポストが
一つ、空いているのを思い出したんだ」
「……」
「私のよく知っている男が、ちょうど副官を探していてね。今は空席だが、
埋まっても君のためなら空けさせることもできる」
「そんな……そんな……わたしに務まるものでしょうか」
「君なら大丈夫だろう。しかるべき訓練を受けたらね。何と言っても……こ
のロイ・マスタングを突き飛ばす御仁だから」
リザは先刻の騒ぎを思い出し、恥ずかしさに頬を染めた。
実際には、マスタングは国家錬金術師の自分よりも反応が早かった彼女を褒
めていたのであるが。
「ありがとうございます、マスタングさん。わたし、近いうちに必ず祖父の
許しをもらいます」
リザがきっぱりと言い切ると、青年は明快にうなずいた。
「幸運を祈るよ。……ああそれから」



「?」
「あまり他人を観察しすぎると怖い目に遭う時もあるから、程ほどに」
「え?」
「君は少々、不用心だと忠告しているんだよ。今夜だってそうだ。私がもし
腹黒い男じゃなかったら、君に誘われていると自惚れた所だった」
リザは一瞬呆気にとられてから、声をたてて笑い出した。
これが、国家反逆を決意している人間の言うことだろうか?
その清々しいまでの食えなさ加減に、彼女はそうやって笑いながら心で白旗
を上げていた。
勝てるわけがない。
どんなに虚勢を張っても、始めからこの人には敵わなかったんだわ。
彼女はすでに無意識のうちに、この青年の大それた野望を支持しつつあった
のである。



「貴方が腹黒い人でよかった。それとも、今の内に口封じをなさいます?」
からかうように尋ねたのに、マスタングは何も答えなかった。
その手がゆっくりと伸べられて、指先が彼女のあごにそっと添えられる。
(……なに?)
心臓のあたりがどきりと波打ち、リザは相手の黒曜の瞳を見つめ返した。
その瞳がゆっくりと近づいてきて、そっと唇が重ねられた。
反射的に目を閉じて、リザは自然にそのキスを受けた。
それが初めてのキスだと気付いて驚いたのは、ずっと後の事である。
その時はただ、甘美な熱病の波間に浮遊しているように、彼女の理性の時計
は止まったままになっていた。



不意にどたばたと何者かの足音が近づき、2人は咄嗟に離れた。
何も気付かずに、ホークアイ家の運転手が前の扉を開け、乗り込んできたの
である。
「やあ、お待たせして申し訳ありませんでした! これでやっと帰れますよ
お嬢さま!」
「え、ええ」
息が乱れていることを、彼女は運転手に悟られたくなかった。
怯えたように見つめるリザに、窓の外のマスタングは小さく敬礼をしてから、
小声で囁いた。
「またすぐに会えるよ……エリザベス」
彼女が何か言おうとした時、車はエンジンをうならせて発進した。
リザの答えは相手に届かなかった。























夜の街を抜け、車は郊外へと続く幹線道路を進んでゆく。
目を閉じればそこに夜色の瞳が迫ってくる気がして、リザは目をつむることも
もできず、後部座席でひとり、あの青年のことを考えていた。
大それた野望も、与えられた希望も、魔性の響きを持つ声も、盗まれたキスも、
何もかもが彼女をかき乱していた。



(どうしよう……お祖父様……)
そうなのだ。
先刻……孫娘の髪を撫でながら、老将軍はこうも言ったのである。
「あの錬金術師君は実にいい青年だな、リザ。術師としても優秀だし、謙遜で
礼儀正しい。いずれ我が家にも招待したいものだよ。そうだ、考えてみればあ
れほど婿として相応しい人材もおらんな……ふむ」
最後の方はつぶやきと化してしまって聴き取れなかったが、今となってはそれ
は、困惑を通り過ぎて当惑と言う他はないお節介であるように思えた。
(どうしたらいいの……)
リザは胸の動悸を持て余すように、苦しい深呼吸をした。
このどこか人智を超えた場所で始まってしまったらしい何事かに、彼女が「恋」
という名を認めるまでには……まだしばらくの時を要した。









しかし……

結果として彼女は、その後無限の回数をリフレインすることになるのである。
あの日、彼女が彼女なりの革命を見出した、一人の男との出会いの記憶を。
目を閉じればそこに甦る、彼女にとって最も貴重な夜色の瞳の記憶を。














- FIN. -









という訳で、ここまでお読み下さって本当にありがとうございましたv
管理人初のロイリザSSということで、ちょっと後書き言い訳などさせて頂きたく。。。ええ、小心者ですから(笑)
今回の話は、孫娘設定が解禁されて以来ずっとあたためていたものなので、なんとか形になってとても嬉しいですv
色々と条件を課して書いていたのですが、全部を満たすのはたいへん難しくて。曰く、
・初対面の2人はそれぞれ反感を抱いたが、次第にそれが解けるように書く。
・互いの必殺技(?)を互いに目の当たりにすること。
・始めから、ロイアイ要素(足蹴りかそれに匹敵する描写、のちの迷コンビぶりを彷彿とさせる描写)を入れる。
・原作(6巻のチェスのシーンとか)に無理なくつながるように書く。
などなど。素人にできるはずないですよね(凹)ですから今ここに書いておくので、どうぞ補って下さい…(そんな)

結果としてロイの「副官青田刈り(いや、手の込んだナンパ)物語」になってしまいましたけど。
ええもちろん、「私のよく知っている男」とは自分のことです(笑)。彼はサドだけど(そうなの?)、
実はM要素もあって、自分を足蹴にする女の子を放っておけないのよねv(誤解だってば)
リザの内面の葛藤を含め、ものすごい捏造大会をやらかしましたが、どうぞ多めに見てやって下さいませ。

最後に。タイトルは、あの不朽の名作:元祖猫耳漫画より拝借いたしましたv「夜は目のこっち側(自分側)にある」
というような意味です。ロイの目の色は必ず「漆黒」と書かれるので、私は「夜色」にしたかったのですよ(笑)
ご感想など、お聞かせ下さいましたら励みになりますv