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「どうぞ、お嬢さん」
「……お気遣いありがとう」
アルコール抜きのドリンクを差し出され、リザは型どおりの礼を返して受け
取った。
ともかくは、酔わせようなどという魂胆はないわけね……と彼女は確認する。
まぁ、お祖父様のご機嫌を取りたいのなら、わたしを酔わせるはずもないけ
れどね。



大広間に隣接するその部屋では、人混みで気分を悪くした婦人たちがまばらに
休憩しているだけであった。
国家錬金術師と名乗った青年は、彼女と向かい合って腰を下ろすと、くつろい
だ様子で足を組み、自分のグラスを傾けた。
「ええと、失敬ですがお名前をもう一度……」
「エリザベス・ホークアイです。マスタング少佐殿」
「ロイ、で結構ですよミス・ホークアイ」
「では、わたしのこともリザで結構ですわ、少佐殿」
故意にトゲのある口調で言ったのだが、相手は寛大に微笑んだので、リザはか
えって後悔した。
名乗られるより先に階級章を読んだことも、先回りし過ぎただろうか。



「中将閣下にうかがいましたが、射撃がご趣味でいらっしゃるそうですね」
「いえ……趣味というよりも単なる暇つぶしですわ」
「でも、中央新聞でも報じられていましたよ。大会史上、最年少でのグランプ
リだそうですね」
「たまたま、ほかの方がミスをしただけです」
マスタングがまた笑いをかみ殺すような表情をしたので、リザの苛立ちはさら
につのった。
「無礼にあたらないといいのですが……実際、意外ですね。あなたのような完
璧に美しいお嬢さんが、物騒な鉄製品をあやつる、などというのは」
「血は争えないと、皆が申します。所詮、わたしは粗野な軍人の家系の娘です
から」
「結構なことではありませんか? ここは今や軍事国家ですからね」
「……」



無意味な会話を続けながら、リザはじりじりとしていた。
(何よ。早く本題に入ればいいでしょう。どうせ、さっきは目が合って困りま
したねと言いたいくせに!)
するとそれが通じたのか、青年はふと視線を落とし、ようやく真顔でこう尋ね
てきた。
「実は……最前からあなたの視線が気になっていましてね。私は何も、見張ら
れるような真似をしていたつもりはないのですが。何があなたのお気に触った
のか、またはお気に召したのか……良かったら教えて頂けませんか?」
リザは待っていたとばかりに、ことさらに冷静な言葉を選んでさりげなく投げ
つけた。
「貴方を見張っていたつもりなどありません。ただ……貴方が、軍の上層部の
方々ばかりを見つめておられるのが、少々興味深かっただけなんです」



彼女はじっと相手の表情の変化を見守ったが、マスタングは鼻白むどころか、
額に手を当てて苦笑し、やがて小さく声をあげて笑い始めた。
「ははは……いや、失敬。困ったお嬢さんだな、あなたは」
「……わたしを馬鹿にしていらっしゃるの?」
「まさか。むしろ感嘆しているんです。将軍閣下の最強の参謀格は、案外あな
たなのかも知れない。大した慧眼だ……脱帽しました」
「じゃあお認めになるんですね、お歴々の様子を観察していたこと。何故そん
なことを? 何か昇進に役立つ情報が手に入るとでもお考えでしたか?」
「その通りですよ」
あっさりと肯定され、戸惑ったのはリザの方であったが、彼女はこのまま引き
下がるのは何としても癪だった。



「そのお歳で少佐の階級を手にしていても、まだ十分ではないというのね。恥
ずべき方法を使ってでものし上がろうという、その理由をお聞きしたいものだ
わ」
「落ち着いて下さい、ミス・ホークアイ」
「貴方は、軍の毒ですか? まさか本当に大総統になるおつもり? いずれク
ーデターを起こそうとでもいうのですか? いいえ、そんなこと、本当にでき
るとお考えですか?」
リザが一息にまくしたてると、マスタングはグラスを置いて足を組み直し、ま
っすぐに彼女を見すえた。
その切れ長の黒い瞳は、正面から見るとはっとするほど真摯な光を放ち、峻厳
で美しかった。
リザは呼吸の乱れるのを自覚した。
どう誤解しても、それは茶番を演じる者の目ではなかったのである。



マスタングは口調をがらりと変え、蠱惑的な低音で話した。
「イエス、と言ったら、あなたはどうされるのかな? 断っておきますが、こ
れで私の秘密を握ったなどと喜ばないことです。私はそれを誰彼かまわず公言
しています。あなたごときの意見に、本気で耳を貸す者など誰もいないことで
しょう」
「な……」
「残念ながら、私はあなたの出自に興味はありません。必要な地位は、すべて
自分の力だけで獲得できると知っているからです。私があなたを懐柔して、将
軍閣下に取り入ろうとしているなどと、間違っても考えないで頂きたい」
「……」
「下らないことはお忘れなさい、お嬢さん。あなたの周りの、お菓子のように
平和な世界だけをお考えなさい。それがあなたの身のためになります。すべて
はあなたの目に見えない所で回るんです」



リザは二の句がつげなかった。
恐ろしいことに、彼女が看破したのはたぐいまれな野望を抱く人間の、野望そ
のものだったらしい。
と、不意にマスタングが笑い声をもらした。
緊迫した沈黙を破るように、青年は元通りの穏やかな笑みを浮かべて言った。
「ははは……失敬、ミス・ホークアイ。ぜんぶ冗談ですよ。私は見たとおりの
人間で、本当はあなたの美貌を遠くから鑑賞していただけなんです。お近づき
になれて光栄に思いますよ。どうぞ、以後もご懇意に」
だが、助け船と知っていて、リザはそれに乗らなかった。














「……何をなさるおつもり?」
「は?」
扱いづらい少女を煙に巻いてすまそうとしたマスタングは、彼女の大きな瞳
が狼狽するほどの深い思慮をたたえて自分を見据えているのに気付き、舌打
ちしたい気になった。
美貌を鼻にかけた、少々気が強いだけの小娘とあなどって脅してみたものの、
どうやらこの少女は破格に変わっているらしい。
「大総統の椅子を手にして、あなたは何をなさるおつもりですか?」
「……さてね」
曖昧な笑みを浮かべて、マスタングは再びグラスを傾けた。
リザはすでに持ち前の冷静さを取り戻していた。
この青年の大胆極まりない将来展望は、確かに恐るべき告白ではあったが、
その腹黒い役回りがあまりにも相手のイメージに符合しすぎていたために、
かえって彼に対する不透明な嫌悪感を一掃してしまったのである。
その代わりに頭をもたげてきたのは、純粋な興味であった。



「出世をお急ぎの理由は……もしかしてそのせい? 正攻法で軍部のトップ
に立とうとするなんて、貴方は正直な方ですね」
「……何の話をしているんです。変わったお嬢さんだな」
今度は逆にマスタングのほうが、警戒のまなざしでリザを眺める番だった。
「ご安心を、祖父には関係のないことです。わたしの個人的な興味本位です
から」
「ほう?」
「つまりわたしの知りたいのは……あなたはただの誇大妄想狂なのか、それ
とも一人の革命家なのかということです」
「そんなことを知ってどうします?」
「……何も。ただ、この国には革命が必要だと、いつも思っていましたから」
マスタングは余裕を保った表情で自分のグラスを見つめていた。
何を考えているのかしら……と焦れつつ、リザは相手の言葉を待った。



「ミス・ホークアイ。あなたが軍の最年少諜報員ではないと仮定した上での
話ですが……私の知りたいのはね、その質問の出どころは、あなたのゴシッ
プ好きの性格なのか、それとも私への好意なのか、といったところですよ」
「……どちらでもありません」
「それなら結構。女性に口封じをするのは、私の趣味に合わないのでね」
リザはようやく口をつぐんだ。
相手の言葉に、もうこれ以上の追求を許さない空気を読みとったのだった。
自分でも、なぜこんな成り行きになってしまったのか分からなかった。
今となってはもう、この青年と当たり障りのない世間話をして帰るという訳
にもいかないだろう。
彼女は少なからず当惑して、ひざに置いた両手を握りしめた。



そんな彼女の様子を観察して、マスタングはふと憐憫を感じた。
要するに、彼女が苛立っているのは自分自身に対してなのであろう。
先刻の中将との会話を聞いた限りでは、この子は士官学校に並みでない興味
を抱いているのだ。
しかし、彼女の祖父はそれに反対している風だった。
加えて、自分を出世のエサとされることへの非常な反発心もうかがえる。
恐らく……と、マスタングは想像する。
彼女が射撃の的に重ねて見ているものは、彼女を取り巻く閉塞的な世界その
ものなのだろう。
思いがけず化けの皮をはがされたのは癪に触ったが、それでもそれはこの青
年の余裕を失わせるほどの深刻性を持つものではなかった。
むしろ自分のような食えない男に楯突いて、跳ね返されてしおれてしまった
この少女に、マスタングは同情を禁じ得なかった。
黙っていた方が数倍は綺麗な子だな……と内心でつぶやきつつ、青年は再度
の助け船を出すために口を開いた。