夜は瞬膜の此方に
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(まただわ……)
先ほどからどうも同じ男と視線が合うので、リザは苛立っていた。
市街中心部に立つ瀟洒な高級ホテルの、大広間での出来事である。
無論のこと、周囲は人、人、人だ。
配偶者同伴可の夜会とあって、人数の何割かは見目麗しいドレス姿を披露し
ているが、残りの人々、つまり無骨な男たちは皆同じ服装であった。
全身青づくめと言ってもよいこの国の軍服は、これだけの人数が集まっても
さほど暑苦しいイメージを与えないのが長所と言える。
暑苦しくて毒々しいのは、むしろ人々の腹の中のほうだろう……と、リザは
辛辣にひとりごちる。
彼女はこの種のパーティーが大嫌いであった。
とは言え、優しい祖父の誘いをそういつもは一蹴できなかったし、彼女の一
家が特に懇意にしている軍上層部の人物の主催ということもあり、今夜の出
席はやむを得なかったのである。
せいぜい空腹を満たしたら帰ろう、と決めていたのに、祖父は自分を誰かに
会わせたい心づもりらしい。
しかし、後で呼びにくるからと言って椅子に腰掛けさせられ、もう半時以上
になるというのに、一向にお呼びはかからなかった。
かくして……彼女は人混みにうんざりしながらも、お得意のマン・ウォッチ
ングに興じているところであった。
ふと、全く身も知らぬ紳士に会釈をされ、リザは慌てて目礼を返す。
それでなくても、腰まで届く金髪と清楚な美貌の少女は会場内で嫌でも目を
引いたが、多少なり彼女の素性を知るものは耳打ちしてそれを教え合い、わ
ざわざ自己紹介にやってくる者もあるくらいである。
帰宅後にわたしがあなたなんかの名を祖父に伝えると思う? と、意地悪く
リザは問い返したくなる。
実際、祖父に取り入るためにまず彼女に近づこうとする者は少なくなく、そ
ういった輩に話しかけられるたびに彼女は自分が釣り餌にでもなったような
気分になり、すこぶる不愉快だった。
(もう、また……)
最前から何故かふとした瞬間に視線の合う男は、広間の反対側の壁に寄りか
かって立っていた。
既知も少ないのか、他人とほとんど会話をしている様子がない。
飲み物を取りにゆくわけでもなく、ただ人々をみつめているだけである。
この距離では容姿までは定かでないが、ブラウン系の頭髪が場のほとんどを
占める中で、見間違えようのない黒い髪が印象的だった。
(あの男も人々を観察しているのかも知れない……)
そう気付いて、リザはその観察している男を観察の的とすることにする。
よく見れば、男は完全に夜会の雰囲気から浮いていた。
後ろになでつけられた髪こそ、この場のために隙なく決められてはいたもの
の、腕を組んで壁に寄りかかった姿はお世辞にも社交的とは言えない。
そして、無為にたたずんでいるように見えて、男の視線の先には必ず軍上層
部の主要メンバーの姿があることに、リザは目ざとく気付いた。
(なかなかの曲者かも知れないわ)
男がもしかすると、お偉方の勢力相関図を組み立てているのではないかと思
い当たり、リザはその突飛な想像にほんの少し面白そうな表情になった。
しかし、再び目が合いそうになり、慌てて視線を逸らせたわずかの間に、男
の姿はその場所から消えてしまっていた。
(どこへ……?)
人混みへと視線を泳がせる彼女を、背後から呼ぶ声がしたのはその時である。
「リザ!ずいぶんと待ちぼうけを喰わせたな。許しておくれ」
「いいのよ、お祖父様」
彼女は慌てて立ち上がると、淡いブルーのドレスをひるがえして祖父の手招
きに従った。
両手を広げて祖父将軍を迎えたのは、初老の軍人であった。
リザも以前に何度か会った覚えのある、一家に旧知の人物である。
「やあ、しばらくですな、将軍!」
「ああ君、こりゃ元気そうじゃないか。どうかね、北部はやっぱり寒いかね」
「それはもう、中央とは雲泥の差ですな。雪も積もりますしねぇ。ま、それ
もまた風情と言えば風情ですが。若いお嬢さんならかえって喜ばれるかもし
れませんがね」
「お久しぶりです、中将閣下」
「これはどうも、エリザベス嬢。いや、すっかりお綺麗になられて……見違
えますなぁ。そう言えば、先日の射撃の全国大会ではまた栄冠を取られたと
か?」
「ええ……まだまだ未熟者ですが」
「ははは、血筋ですなぁ将軍。ご子息はおられなくとも、こうして孫娘どの
が頼もしく成長しておられて。士官学校へはどうなされるのですかな?」
「それは……まだ……」
リザは言葉を濁し、祖父の表情をそっとうかがった。
孫娘を溺愛している祖父は、いくら自身に息子が出来なかったからとはいえ、
孫の自分を女だてらの軍人に仕立てるつもりなど毛頭ないのをよく知ってい
たからである。
その代わり、女の幸せは優秀な軍人を夫に持つこと……。
彼女の成長につれて、最近のホークアイ家の合い言葉となっているそのアイ
デアは、残念ながらリザ本人の希望とはまるで逆のものであった。
少女期を脱しつつある彼女にとって、お仕着せの「女の生き方」などは鎖に
つながれるよりも窮屈なものに思えたのである。
そういった空気から逃げ出すためにも、彼女は必要以上に射撃にのめり込む
ようになっていたが、その才能が天賦のものであることを誰よりも祖父自身
が認めていたという事実もまた、大変に皮肉なことであった。
老将軍は案の定、2、3度咳払いをしてから話題を変えた。
「そりゃそうと君、後ろの彼を紹介してくれるのを忘れんでくれ」
「おお、そうでしたな。君、こっちへ来たまえ」
中将の後ろから現れたのが、先ほどから観察していた黒髪の男だと知って、
リザは思わず表情をこわばらせた。
そう言えば、何か悪い予感はしていたのだ。
「こちらが現東方司令部将軍閣下だ。お隣りはお孫さんのエリザベス嬢」
「お会いできて光栄です閣下。国家錬金術師のロイ・マスタングです」
老人と青年は、少なくとも表面上は親しみをこめて、握手を交わした。
「ああ、もしかして、君が近ごろ噂の『焔の錬金術師』君かね?」
「はい。もうお耳に届いていらしたとは……光栄です、閣下」
「ははは、なにやら色々聞いとるよ。自称、次期大総統だそうじゃないかね」
「いえ……それはどうぞお聞き流し下さい」
「いやいや、若者は大それた夢を持っているくらいで丁度良いんじゃ。気に
入ったよ、マスタング君とやら」
リザは傍らで、2人のやり取りをじっと観察していた。
国家錬金術師と名乗った青年士官はまだ相当に若かったが、真新しい階級章
は少佐階級を示しており、その異例とも言えそうな出世ぶりは見る者に胡散
臭さを与えるに十分だった。
加えて、如才ない物腰とは裏腹なきつい眼差しが、これもまた彼女に警戒感
をもたらした。
全体の印象はむしろ腰の軽いプレイボーイといった風なのに、その黒い瞳だ
けは底知れない闇を宿しているように思え、彼女は心の中でひそかに防御壁
を築いた。
と、3人目の既知が通りかかったのはその時である。
「お、これはこれはお揃いですな、中将閣下」
「おや、お珍しいですなぁ少将!」
「ああ、君は確か南部の……」
いつの間にか、祖父はそちらの輪に混ざってしまっていた。
ふと気が付けば、リザは思いきり居心地の悪い空気の中で、マスタングと名
乗った青年と共に取り残されていた。
悪い予感とは、常に連続して当たるものである。
果たして祖父は急に振り向いたと思うと、青年にこう申しつけたのであった。
「君、君、悪いがうちの孫を頼むよ。若者同士で歓談していてくれないかね」
「あ、はい……お任せ下さい」
こんな危険そうな男にわたしを押しつけるの!? と、リザは文句を言いたく
なったが、祖父はにこにことうなずくと、さっさと旧友たちの方へ向き直っ
てしまった。
相手の青年は相当場慣れしているらしく、
「よろしければあちらで座りませんか? どうぞ、お嬢さん」
と、率先して人混みを歩いてゆく。
短い溜息をついて、リザはその後を追うほかなかった。