貴方を生け捕る方法








「……そんな所だな。各自、配置と動線を頭に叩き込んでおけ。以上。散会」



へーい、了解、などといった4種類の答えが聞こえ、4種類の手がそれぞれの
高さで敬礼をかたちづくる。
集団で引越してきたマスタング組の、中央での最初の「課外活動」が明日から
始まるのである。
活動の主目的は「釣り」。
命を張って漁をするにしては、彼らのミーティングは陽気そのものだったが、
的確な質問と絶妙な指示の応酬を見れば、作戦に落ち度があるとは到底考えら
れなかった。

1人だけ疲労した表情のブレダが最後にパタンとドアを閉めると、執務室は彼
ら2人だけになる。
ふぅ、と何やら決意するような溜め息のあとで、リザは控えめに挙手した。

「……1名、異議ありです。大佐」
「なんだ」
「先ほどのコードネームの件ですが」
「ああ。別にブレンダでもブリジッドでも良かったんだが、たまには遊び心も
必要だろう?」
「……ブレダ少尉のことではなくて。わたしのことです」

ロイはそれは心外だという身振りをして片眉を上げた。

「だって嘘じゃないだろう?エリザベスは君の正式な名前」
「ですから!……本名はやめましょう」
「いいじゃないか。木を隠すなら森と言うだろう」
「万が一誰かが気付いたらどうするんですか!」
「ははは、職場恋愛にはスリルがないとな」
「無駄なスリルなんか要りません!それ以前に職場に恋愛は要りませんが」
「何を今さら」
「人の口調を真似しないで!」

これは意志強固だぞと悟ったのか、ロイはすぐさま対処法を変えてきた。

「……き、君は……何の権利があって、私のささやかな楽しみを取り上げよう
とするんだ」

きたわね、とリザはリモコンを切り替える。
無論、泣き落とし作戦も彼女の想定内であった。
しかし、譲るもんかと心底から意固地になった上官を見ていると、子供から玩
具を取り上げようとしている大人の心境になってくるのは摩訶不思議である。
結局、大人げなく些細な問題に拘泥しているのは自分の方ではないかと疑問が
わいてきて、最後はいつも彼のわがままに押し切られてしまうのがオチなのだ。

案の定、この日も約2分に及ぶにらみ合いの末、先に肩を落としたのはリザの
方であった。

「……そんなことが貴方には楽しみなんですか」
「当然じゃないか」

満面の笑みをこぼす童顔の無邪気さを観察して、リザは心で白旗を放り投げた。
もういい。もう私は何も言うまい。
(考えてみれば……大総統の椅子を狙う、なんて職場で公言する人だものね)

そう。その壮大な野望を隠蔽するために彼が選んだのは、目的を明け広げにす
る、という大胆極まりない方法であった。
横を向いてくすりと笑い、リザはその唖然とするほどの大胆さにさえ惹かれな
いとは言い切れない自分に苦笑する。



副官とのやりとりに勝利した部屋の主は、嬉しそうに話を続けた。

「ちょうどいいな。実は以前から聞きたかったんだが……どうして君は、軍の
登録を正式名でしなかった?その方がよほど疑問だぞ」
「ええ。親しくもない人々に、馴れ馴れしく呼んでほしくなかったので」
「……」

ふつう、愛称の方がよほど馴れ馴れしい呼称なのではないかとロイは思ったが、
ここは彼女の美意識を尊重しようと考え直す。

「そうか、分かった。私以外の人間に気安く呼んでほしくなかったんだな?」
「それは貴方の思い上がりです」
「ふふん。私を置いて誰に思い上がる権利がある?君の名をきちんと呼ぶのは
ご家族くらいだろう。知っての通り、私はグラマン中将から家族同様というお
墨付きをもらっている。つまりほら、君をエリザベスと呼んでいい権利がある
わけだ」

勝ち誇ったような上官の笑顔は、少しでいいから意地悪をしてやりたいという
「平等の原理」をリザに思い出させた。
彼女はしばし軍靴に視線を落として何やら考えていたが、やがて顔をあげると
どこか皮肉気な表情をロイに向けた。

「……わかりました。今回に限りその権利を認めましょう…ロイスダールさん」

前にのめりそうになり、慌ててロイは机に寄りかかる。

「……何だ今のは?」
「貴方のコードネームです。ロッチンマイヤーさん」
「あ、あのな……」
「お気に召しませんでしたら、これは?ロイエンタールさん」
「君、ああいうのが好みか?」
「(無視)盗聴されないとも限りませんから。ロシュフーコーさん」
「リザ……」

さっきの沈黙は、おそらく脳内電話帳の「ロ」の項を繰っていたのに違いない。
そう看破したロイはつかつかと彼女に近づき、懇願するようにその肩に手を置
いた。

「頼む。こんな時くらい名前を呼んでくれないか」
「大佐、何か勘違いをなさっているのでは。これは秘密のバカンスでもお忍び
デートでもないんですよ?」
「そうかな。君が『ホークアイ中尉』でなくなる、貴重なチャンスだよ」
「……え?」

不意打ちを食らい、リザは咄嗟に言葉を失う。
実は、彼女がコードネーム変更を言い出した本当の理由とは……正式名で呼ば
れることで、彼の副官としてではなく、情人としての自分が自覚されてしまう
ためだったのである。
要するにその呼称は、なぜか女の機能を彼女に意識させてしまうのであった。
だからこそ、一瞬の判断が結果の良否を左右する実戦で、その判断にわずかで
も狂いが生じるのを、彼女は恐れたのだ。
なのに……この人ときたら。
(本能で嗅ぎつけたとしか思えないわ)

「普段の君からはうかがえない、女心の機微を匂わせてほしいものだな」
「……」
「一般人の恋人なら、私を何と呼ぶのが自然かな?」
「……ほんとうに……仕様のない人……。ええ、ええ、分かりました、マスタ
ングさん……これでご満足ですか?」
「まだまだ他人行儀すぎるね」
「では……ロイさん?」
「まあいいか」

ふと相好を崩すロイ。
その一瞬をついて彼の手から逃れようとしたリザは、それを読んでいた相手に
がっしりと抱きすくめられた。

「……っ!仕事中でしょう、ロイさん!」
「ははは、忘れたのかエリザベス?公私混同がこの部屋の掟だよ」
「だめ……離して……あんもうっ、ロバート!」

芝居ががった艶っぽい声が呼んだ他の男の名に、ロイは瞬時に凍り付いた。
その隙をついて見事に上官の腕をすり抜けたリザは、安全なところまで逃れて
から勝利の笑みを見せた。

「うっかりしてすみません大佐。コードネームの凡例でした」

まんまと囮のエサにかかったロイは、芯から傷ついた表情でリザをなじった。

「……き、君って人間は……」

(あら?)
わなわなと震えるロイを観察して、リザは首をかしげる。
少々悪ふざけがすぎたのだろうか。思ったよりも効果があったようだ。

「よくも……よくも芝居でそんな声を出せるものだな!事の最中にだって甘い
ため息ひとつ漏らさないくせに!」
「嘘っ!そんなことありません!」
反射的に否定してから、論点はそこではないと自分を叱咤するリザ。

「もういい……分かったよ。君に可愛い気のある態度を求めた私が馬鹿だった」

うなだれて声のトーンを落としたロイは、寂しげに微笑んで言った。

「君の意見を容れるよ。コードネームを変更しよう……リンダ」

その瞬間、リザの胸のどこかがキリ、ときしんだ。
(……え?)

「私はいつだって君の思うままだよ、リディア」

(……!)
はたと思い当たった。ロイは同じ戦法で彼女に仕返しをしているのだった。
(な、なんて子供っぽい……)
そう呆れつつも、わずかでも嫉妬を感じてしまったことは顔に出ていたらしい。
ロイはにやにやと笑いながらリザの表情を観察していた。

「どうした?ほらやっぱり気持ちのいいものじゃないだろう?」
「あ……貴方って人は!」

意地を張り通すか否か!?……リザの中で、ギリギリのせめぎ合いが続いた。
そして、またしても事は同じ経過をたどってゆき……
肩を落としたのは、やっぱり彼女の方だった。

「……分かりました。全部、貴方の好きにして下さい」
「本当にか!」
「ってそういう意味ではなくて……っ!」

マッハの速度で再び抱きすくめられたリザには、もう投げられるものといえば
匙しか残されていなかった。
この期に及んで、ようやく彼女は悟った。
(わたしって万能のエサなのね……この人にとって)
それは快いと言うよりはこそばゆい認識であったが、不愉快とは遠かった。
いけない、と彼女は自分に言い聞かせる。
わたしが危機に遭っても、決してこの人に知られてはいけない。
わたしをエサに、彼が釣られてしまったら元も子もないじゃない。



「これでも君を心配してるんだが、通じているのかなエリザベス?」

うって変わった真面目な声に、リザは脱力したまま呆れて、くすりと笑う。
たまにはこうして、愛されていることが嬉しいと伝えてあげてもいい。

「大丈夫よロイさん。わたし強いから」
「もし手に負えない魚が釣れてしまったら、釣り竿ごと捨ててしまえ」
「そんなことをしたら、貴方に喜んでもらえないわ」
「魚だけ残っても、君の身に何かあったら私は喜べない」
「それなら、このまま離さないでいた方がいいかも」
「そうしたいが、副官が職場のモラルに厳しいのでね。今だってこわごわだよ」
「ふふvねぇ、彼女とわたしと、どちらが貴方のお好み?」
「……今夜、君の部屋で教えようか?」

ぴしっ。
どこかで何かに亀裂が走り、リザは厳冬を思わせる声に戻った。

「……大佐。釣りごっこは明日が本番ですので」

言うなりつま先で立ち、ついばむようなキスを相手に与える。
ロイはさすがに驚き、うろたえたように腕をほどいた。
その隙に、今度こそドアまで逃れてノブに手をかけてから、リザは振り向いて
笑いながら言った。

「公私混同がこの部屋の掟だとうかがいましたが?」

その顔に隠しきれていない照れを見て取って、ロイは満足そうに苦笑した。

「その通り。私が大総統になるまではね」







- FIN. -








ただのいちゃコメ話になってしまいましたが;
9巻収録の「エリザベス電話」前日談ということで〜。
うちのサイトでは一応、あれは本名だと断定しています。
そうじゃなかったらあのシーンは面白くないからv
しかし、男女の仲は釣って釣られての繰り返しだねー。
不感症を装うのもリザの芸だったら感服しちゃうな(笑