ロイアイSS


The Last Order





夜になって吹きはじめた風が髪をなぶるままにまかせて、
私たちは目抜き通りを歩いていた。
音楽会の後ということもあり、時刻は普段のデートよりもいささか遅い。
ああ、こんな夜は久しぶりだ。
監視の目を振り切ってまで危険な逢い引きを敢行したのも、次の春に
この国の運命の日をひかえて、これが最後のジルベスタになるかも知
れない…と誘う彼の言葉にリアルを感じたせいだった。







中央に出てきてほとんど初めての、デートらしいデート。
イーストシティでひそかに憧れていた、この国でいちばん音響の良い
劇場も、音楽会もすばらしかった。
そのあとで入った小さなビストロで、せまいテーブルで彼と額をぶつ
けそうなりながら食べた熱いリゾットもおいしかった。
そして手袋を忘れた私は、右手を彼のコートのポケットの中で温めて
もらいながら、こうして夜の街を歩いている。



満たされた、という表現を今こそ使うべきだと思った。
死んでもいい、とさえ言ってよかったかも知れない。
人は大袈裟だと笑うだろうけれど、でも私にはこれが身に相応の、
いいえ身に余るほどの幸せだと思った。
一生分のそれを、今日でみな味わってしまったのだとしてもそれで良
かった。
これで私は、心置きなく春を迎えられる…
彼を守り抜いて、たとえ地下のホムンクルスたちと戦って命を散らし
ても、満ち足りた思いであの世へ旅立てる…
そんな気がした。







冬の空気は、夜の明かりの輪郭をくっきりと際立たせる。
お互いの口元に広がる白い息が、光る綿菓子のように美しく広がって
は消えてゆく。
私たちはぽつりぽつりと短い会話を交わしながら、マダムの店の方向
を避けて、遠回りに彼のアパートメントへと向かっていた。



ふと、通りをはさんで向こう側の街灯の下で、熱い焼き栗を売ってい
る小さな屋台に気付いて、わたしは「あ」と声をあげる。


「なんだい?」

耳ざとく首を傾ける彼に、わたしは目で通り向こうを示す。

「あの子です。ほら、いつか焼き栗を買ってあげたでしょう?」
「ああ…思い出したよ」
「後であなたが、ハボック少尉の子供の頃に似ているって」
「いや、想像してみただけだぞ。あいつのガキの頃なんて知らない」
「でも似ていると思います。そうね…飴の棒をタバコみたいにくわえ
ているから、何だか余計に」


見つめる先で、古ぼけたハンチングをかぶった少年はしきりに鼻をぬ
ぐっていた。
この寒風に、マフラーもなしではさぞかし堪えるだろうに。


つ、と思わず自分のマフラーを解いて通りを渡ろうとした私の腕を、
彼がそっと引いた。
彼が示すままに少年を見る。
どこからか、花売りの少女が駆け寄ったところだった。
手にはマフラー。腕には花のカゴを下げて。

少年はあわてて口にくわえていた飴の棒を手で放り投げる。
ひと言ふた言のやりとりの後に、少年が首を横に振る。
しかし少女は身を乗り出すようにして、マフラーを強引に少年の首に
巻き付けた。
遠目にも、少年が照れている様子が見て取れる。
そして少女が笑って手を振ると、少年はあわてて自分の隣を示したの
だ。
今度は少女がはにかむ番だった。
でも、ふたりは結局並んで地面に座り込んだ。
商売をそっちのけで、彼らの友情は無事にそっとすべり出したようだ
った。
友情…もしかしたらそれは、淡い淡い恋なのかも知れなかったけれど。



行こうか、という彼のジェスチャーにうなずいて、私たちはその場を
後にした。
小さな、あたたかいドラマ。
何か優しいものがじんわりと胸を占めてゆくのを自覚する。
黙っていても、彼も同じ思いなのが分かる。

あの子たちのはにかんだ身振り。破顔するまだ幼い頬。
ああなんていとおしいの。
なんてくもりのない瞳なの。

それは明日の朝、目覚めればまた汚れのない一日が丸ごと用意されて
いることを、ただ無邪気に信じている瞳だった。



そう。
見渡せば街は何一つ、この国が危機に瀕していることになど気付いて
はいなかった。
そして、その危機を乗り越えたあとでどう変わってゆくのかも。

閉店間際のレストランでは、店の主人が看板を仕舞いかけている。
客を引くあでやかな女たちは、心と懐を満たす羽振りの良さそうな男
を求めて視線をさまよわせている。
寄り添うアベックは、笑いながら肩を押し合ってもつれ足で歩き去り、
酔いどれの老人は気持ちよさそうに昔の歌を歌い、野良犬は路地裏で
けんかをし、今夜が仕事納めだった紳士たちは家族と暖炉の待つ家へ
と急いでいた。

変わらない街。
いつもと同じ風景。

ああその中に混じって、私たちを待っている戦いの、なんと常軌を逸
していることか……







「大佐」
「ん?」

ほとんど無意識に、彼に問いかけていた。

「この国に、来年も冬はやってくるのでしょうか」



返事は聞こえず、彼の目は静謐な夜をうつしているだけだった。
ただ、黒いコートのポケットの中で、私の手を握る彼の手にぎゅっと
力がこもった。
ええ、私は知っている。
このあたたかな手こそが、この国を救うてだてなのだ。



そう思ったら、色々な感情がいっぺんにこみあげてきた。
血の河を渡ろうとまで言い切ったあの時から、私はなんて遠いところ
まで歩いてきたのだろう。
いま私に、同じことを同じ顔で言えと言われてもきっと無理だ。
未来のすべてを贖罪の供物にしようと、あんなにも強く誓ったはずな
のに。
この身と引き替えに、道ばたで語らうあの子たちの、その淡い恋が実
る世界を守ろうと決意したはずなのに。
なのに今、ほんの少しでいい、彼との幸せがほしいと願うだなんて、
いつから私はそんな人並みの情を知る女になったのか。
誰が私を変えていったのか…
そんな分かりきったことをぐるぐると考えながら、涙を懸命にこらえ
た。



「リザ」
「泣いてなんかいません」

く、と喉の奥で笑われた。

「そんなこと聞いてやしないぞ」
「……」
「今からで悪いが、あの丘に行かないか」

少しの間をおいて、彼を見上げる。

「これからですか?」
「うん」

それが、何年も前に出張で中央へ来たときに、息抜きと称して二人で登っ
た場所のことだというのはすぐに見当がついた。
そう…確かセントラル市街が一望できるロケーションだった。

「見ておかないか。今夜、二人で。この街の全部の明かりを」
「でも…」
「夜遅いのは分かってる。今年最後のわがままだ」
「…もう」



思わずくすりと笑い合う。
私の大好きな、彼のわがまま。
いいえ、冗談めかしてはいるけれど、そこに行くことが今の彼には必
要なのだと口調ですぐに分かった。
そしてそれは、私のためでもあるということも。



いつのまにか、雪がちらついていた。
通り向こうに偶然通りかかった車を呼び止めるために、私たちは思わ
ず手をつないだまま走り出していた。



忘れられない夜は、いつもこんな風に増えてゆく。










…… Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt;
alle Menschen werden Brueder, wo dein sanfter Fluegel weilt ……

…… Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuss der ganzen Welt!
Bruder uberm Sternenzelt, uss ein lieber Vater wohnen ……


(…世の慣習により厳しく隔てられた者たちを、御身の魔力は再び結ぶ。
御身の優しい翼のもとで、すべての人間は兄弟となるのだ…)

(…さあ抱き合うのだ、いく百万の人々よ!この接吻をあまねく世界に!
兄弟たちよ、星々のかなたに必ずや愛しき父は住み給う…)





J.C. Friedrich von Schiller/Ludwig van Beethoven






Fin.





皆さま明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ当サイトをよろしくお願い申し上げますv
また1年ロイとリザの幸せを見守ってゆきましょう!