何かががしゃんと割れる音がした。
続いて厳格な父の怒声。
さらに冷ややかだが迫力のある姉の声が続く。
ああ、実家に帰ってきたのだなぁとアレックスはしみじみ実感する。
来年にはついに士官学校も卒業なのだが……
最後の夏期休暇もやはり、やんごとなきお家事情と無縁というわけにはいかない
ようであった。





拝啓 姉上殿








「なぜ彼が気に入らん!!」
「父上、腹を割って話したこともない人間を気に入るとも気に入らないとも、判
断する材料がございません!」
「だから何度でも会って話せと言っておる!!」
「私はもう子供ではないのですよ?相手に過剰な期待を抱かせては哀れです」
「なぜだ!?階級から家柄、容姿にいたるまで文句の付けようのない青年ではな
いか!代々将軍職を輩出した我がアームストロング家の長女たるお前の婿として、
彼ほどふさわしい者はもうこの国におらんぞオリヴィエ!!」
「容姿?なるほど…確かに彼は私の審美眼にも耐えうる水準に達しておりますよ。
黄金色の髪にエメラルドの瞳、眉目秀麗と言えなくもない。ですが父上、私に言
わせれば彼は単なるありふれた男です。同じようなのが千人もいそうな容姿には
食指が動きませんな」
「しょ、食指…!?オリヴィエ、お前はいつからそんなふしだらな物言いを…」
「さぁて。父上が放り込んで下さった世界はそれはそれは女学校とは天地の差が
ある所でございましたので」
「では即刻軍を退役しろ!!この家の跡継ぎにはアレックスがおる!!」
「は!ご冗談を!残念ですが数年以内に少将への昇進が内定しております。水が
合いすぎて困るほどの職場をいただき、父上に感謝を忘れた日はございませんよ」
「もうこの国にはお前を娶る者などおらんぞ!!」
「大いに結構。必要な時は異国の者を探しましょう」
「待てオリヴィエ!!話は終わっとらん!!」
「失敬、車に部下を待たせておりますので!」



部屋の外で立ち聞きをしていたアレックスは近づいてくる靴音を察し、すばやく
ドアのかたわらに身を避けた。
象嵌のほどこされた重いドアが勢いよく開き、彼の長姉が出てきたかと思うと、
彼女はくるりと向き直り、ドアを思い切り軍靴で蹴りとばして閉めた。
そのまま靴音を響かせて廊下を去ってゆくオリヴィエを、アレックスは後ろから
追った。















「姉上!!」
歩調をゆるめもせずに首だけで振り返り、オリヴィエは弟を一瞥した。
いつのまにか自分よりもはるか下になった姉の顔を伺いながら、アレックスは足
早に彼女に並んだ。

「お前か。士官学校を脱走して来たのか?」
「き、休暇です。それより姉上、また縁談をお断りになったのですね」
「立ち聞きとはいい趣味だ。それなら聞いたな?お前がこの家を継いでやれ」
「そんな……無理です。来年には任官とはいえ、私は姉上のように軍が居心地良
い場所だとはあまり思えません……」
「何を言う。早く国家資格を取って父上を喜ばせろ」
「……はい……」
「そうすれば私も肩の荷がおりて、憂いもなく仕事に打ち込めるというものだ」
「……それほどまでに、軍は魅力ある職場なのですか」
「ふん、さてな。しかし少なくともお見合いごっこよりは果てしなく建設的だろ
うな」
「……姉上には、普通の女性の生き方では物足りないのですね」

するとオリヴィエはぴたりと足を止めた。
アレックスはつと行き過ぎ、急に歩を止めた姉を不思議そうに振り返った。

「ふ……生意気を。お前も大人になったものだな」

窓からの午後の日射しを受け、オリヴィエの長い金髪が蜂蜜のような艶をまとっ
て波打っていた。青い瞳に、青い軍服がまるであつらえたように映える。
7歳年下の弟は、思わずまぶしさに目をしばたいた。
少年期を終えつつある彼には、最近ようやくこの長姉の非凡さが理解できるよう
になっていた。
それは、アメストリス軍始まって以来初めての女性将官の地位を冠したことのみ
ではなく……その美貌を含めたすべてにおいて、である。

この姉を一目でも目にすれば、100人が100人とも、いったいどんな幸運な者が彼
女のような美姫を射止めるのか、とため息をつくに違いなかった。
しかし、彼女の見かけに惹かれて近づいた哀れな若者達は、その氷の刃にも似た
怜悧な舌鋒によってことごとく返り討ちの憂き目に合った。
それでもなお、社交の場にあって彼女は大輪の花だった。
遠巻きに眺めるのが精いっぱいで、近づきがたい花ではあったが……。

父は本当に後悔していないのだろうか?
これほどの娘に男の名を背負わせたことを。





腰に片手を当て、もう一方の手でカールした毛先をもてあそびながら、オリヴィ
エは碧眼を伏せた。

「いいかアレックス。私は風変わりな女で、およそありふれた物には一向に興味
が湧かんのだ。ありふれた人生も同じだ。しかし奇抜な物、世に一つというよう
な珍しいものには、抗えない好奇心を覚える」
「……」
「そしてそれが欲しいと思えば、必ず私は自分の目で値踏みをし、自分の手で手
に入れるだろう。例えそれが軍の最高位でも、生涯の伴侶でもだ。分かるな?」
「はい……」
「だから、だ。私は今後いっさい、父上の指図は受けん」
「……」
「この家を、お前にくれてやる。分かったな?」
「そんな……」

困惑に彩られたアレックスのかたわらを、オリヴィエは艶然と微笑みながら青い
風のように通り過ぎた。
彼があわてて後を追い始めた時、すでに彼女は屋敷の玄関ホールへと続く豪奢な
螺旋階段をすべるように降り、左右に開かれた正面のドアから外に出るところだ
った。











「マイルズ!帰るぞ!」
「……は!」

黒塗りの将官専用車の真横に立っていた彼女の補佐官らしい青年が、上官の呼び
かけにするどく敬礼を返す。
追ってきたアレックスはふとその青年士官の容姿に気付き、思わず目を細めた。
カフェ・オ・レにも似た濃さを持つ肌と、きつい緋色の瞳……。
それらは持ち主が語らずとも、青年の出自を他人にはっきりと伝えていた。

「失礼ですが閣下。こちらは?」
後部のドアを開きながら、イシュヴァール人の青年がオリヴィエに尋ねた。
車に乗り込もうとしていた彼女は、補佐官の顔を見もせずに答えた。

「弟のアレックスだ。来年には初任官でな」
「どうりで……面影が似ています」
「冗談はやめろ。貴様の目は節穴か?」

青年は笑ってドアを閉めると、アレックスに向き直った。
「准将の補佐官を拝命いたしております、マイルズ大尉です。お噂はかねがね」
「これは……初めまして。アレックス・ルイ・アームストロングです」
「そういえば、士官学校は夏期休暇でしたね。お騒がせして申し訳ない」
「いえ……」

アレックスは非常な興味をもって、目の前の年若い将校を観察した。
初めて間近に見るその民族特有の瞳は、想像していたように禍々しいものではな
く、整った顔立ちのなかで意外にも美しかった。
そして理知によって統制された青年の穏やかな表情は、見る者を不思議と安心さ
せる。
このアンバランス、いや絶妙なバランスは何なのだろう。
アメストリス白人種の名花とも言える姉が、かように野性的な青年を隣りに置い
て、しかもそれで釣り合いが取れて見えるとは……。



彼が挨拶の言葉を言いあぐねていると、オリヴィエの罵声が飛んできた。
「アレックス!さっさと屋敷へ戻れ!マイルズ!降格されたいか!」

2人は顔を見合わせ、同時に苦笑した。
そしてその瞬間、アレックスははっと気付いたのだった。
青年の苦笑の中に、姉に対する大きな受容と親愛が含まれていることに。
そして彼を我が物のように扱う姉の態度の端々には、確かな信頼と、ごく微量の
甘えとがひそんでいはしないか、と。

「では、良い任官先をお祈りしておりますよ」
「有難うございます……あのう」

運転席へと戻りかけたマイルズが、「?」と振り返る。
アレックスは心をこめて、この少数民族の青年に言葉をついだ。
「姉を……オリヴィエをどうぞよろしくお見守り下さい」

するとマイルズは緋色の瞳を和らげて微笑み、敬礼を送ってよこした。
「心して。またいずれ、アレックス殿」











正門へと続く小径を車が遠ざかると、アレックスはようやく居間に取り残された
父のことを思い出した。
やれやれ……どう説明すれば父に分かってもらえるのだろう。
取りあえず今のところは、今後さらに増えるに違いない姉への縁談を、事前にシ
ャットアウトするべく全力を尽くすほかはない。
今はまだ微妙なバランスに見える彼らの間柄を、どんな理由でも邪魔してはなら
ないのだ。
なぜなら、そう。
自分が気付いたことに、まだ本人たちも気付いていないかも知れないのだから。

ああ……それにしても。
アレックスは先刻のオリヴィエの言葉を思い出して得心した。
ありふれた物には一向に興味が湧かないと言い切った姉。
欲しいものは自分の目で値踏みすると言い切った姉。
そして彼女の選んだのは階級でも家柄でもなく、彼女の横に置いて自分自身が最
もひき立って見える、野生のけもののような異彩を放つ青年士官だったとは。

さすがは、我が姉上……。












……。











いかん。
追想に浸っている場合ではなかった。
おお、書面はまだ「拝啓 姉上殿」で止まってしまっているではないか。
一刻も早くこの紹介状をエルリック兄弟に渡さねばならん。
もっとも……恐らくは彼女が書面を目にすることはなく、その場で無惨にちぎら
れて紙吹雪と化すのが関の山だろうが……。



アームストロングは愛用のペンを持ち直し、極北の要塞で国境を守る姉と、彼女
のもっとも信頼する副官の姿を思い浮かべた。
あの悲惨な殲滅戦がようやく幕を閉じてから、しばらくの後だったろうか。
オリヴィエが彼女の副官を降格も更迭もせず、側に置き続けていると聞いてその
器量の大きさに胸打たれたのは。
そしてああ、やはり……と独り納得をしたものだった。

あの実家でのできごとから、はや10年。
他の2人の姉たちはとうに他家へと嫁ぎ、もはや父もオリヴィエの縁談をすっか
りあきらめて、末娘のキャスリンの心配ばかりしているように見える。
しかし、弟である彼だけは真実を知っていた。
3人の姉のうちでもっとも似合いの相手を見つけたのは、他の誰でもなく恐らく
はオリヴィエなのだ、と。
まったくもって、世間体が何だというのだろう。
戸籍も書類も法でさえも、当人たちの幸せとは何ら関係があるまいに。
男女の仲とは、そのきずなの深さによってのみ計られてしかるべきではないか?



アームストロングは書き上げた書面を読み返し、折りたたんで白い封筒に入れた。
しかし何かを迷うように首をかしげ、もう一度書面を取り出して広げると、末筆
にこう付け加えた。
親愛なる姉上。貴女に、幸多かれ……。













- FIN. -












やってしまいました〜捏造設定万歳です(苦笑)
すぐに見抜かれてしまうとは思いますが、とにかく
マイルズさんの容姿を文字で賛美してみたかったの
でした。(←なんかもう知らない間に相当好きにな
ってますよ;だってあまりに男前だしさ〜…)

年齢設定は推定オリヴィエ=36歳、アレックス=29
歳ということで、姉弟7歳差で計算しています。
(その間にまだ2人の姉がいるということで〜)
時期設定はアレックス18歳当時(士官学校生)。
オリヴィエは約25歳で准将、マイルズも同じくらい
の年齢で当時は大尉、約3〜4年後にブリッグズに異
動、同時にオリヴィエは少将に、マイルズは少佐に。
同時期に殲滅戦が始まって、22歳のアレックスは戦
線離脱。一年後に戦争終結。以後約6年が経過…と
いうことで、冷や汗もので辻褄を合わせています;

どうでしょうか…こ、これなら他の女が入り込む隙
はないですよね?事実婚に見えますよねー?vv
でもそれを早々と見抜いたのは弟の少佐だけで、少
佐は2人を陰ながらずっと案じている…だったらい
いなーと思ったの。すぐ近くにいるもう一組のカプ、
ロイとリザもちょっと姉上たちに似ているな、と思
いながらね(笑)お父上をちょっと悪役にしてしま
いましたが、アームストロング家の事情はすべて捏
造ですので、どうぞご了承下さい。

蛇足ですけど。2人の絆が固まったのってやっぱり
あの「四の五の言わず付いてこい」以後ですよね。
初めて関係したのって多分その後だろうな〜とは思
うんですが、数年我慢してたマイルズさんって忍耐
しすぎですか?(笑)いや、でもこのカプは絶対に
姉上がイニシアチブを取るだろうからなー…なんて
妄想ばかりが先に立ちますので、この辺で(汗)