◆等価交換を超える『百姓貴族』の世界◆



本来なら『百姓貴族』の感想文としてまとめるべきものなのですけど、なかなか時間が
取れないので、感想メモからちょっと抜粋して鋼の考察に使ってしまおうと…思い立ち
ました(苦笑)
作品が完結してから作品考察としてまとめても良かったのですが、もう現時点でもそれ
ほど的外れにはならないかな?という感じなので、最終回前にこちらに置いておきます。









鋼の愛読者の方が『百姓貴族』を一読すれば、ほとんどの方々が「これこそ鋼世界の根
底に流れる通奏低音だ!ルーツだ!」とおっしゃると思うんですが、それではその「根
底に流れるもの」とは具体的に何なのかと問われると、これがなかなか一言では表現し
にくいものがありますよね。
生と死、命の循環など、もちろんそのテーマは多岐にわたるのですが、ここではそのう
ちの「等価交換を超えた世界」について、少しばかり述べてみたいと思います。


一言で言えば、ずばり「等価交換を超えた世界」とは「イモ」。お芋の収穫ですね。
牛先生がオリヴィエ様に言わせた「等価交換などクソ喰らえだ、技術はいくらあっても
いい、一から十の成果を得ることだって可能だからな」というセリフがありますけど、
あれはお芋を1個、土に埋めておいて適切に世話をすれば、大地のパワーがそれを育て
てくれて10個のお芋を収穫することも可能だという意味だと思うんですよ。(以前の考
察の中でも同じことを書いた気がしますが…)
もちろん自然環境を支配するのが人間ではない以上、大地のパワーは1個のお芋を10個
にもするけれど、不作なら1個を無駄にして終わる、ということもままあるわけですよ
ね。そんな中で、どこまで人間のアイデアや技術がお芋を増やせるのか?という問いに
は、当然ながら定かな答えもないし、絶対的な結論も出ません。
けれど、収穫が10個でも0個でもどうであってもそのすべてを受け入れる姿勢というので
しょうか……天に対して人間ができるだけのことをした結果、その収穫を天のギフトと
して受け取るよ、と納得して享受すること。
それが「等価交換を超えた世界」なのではないかと思います。


とはいえ、『百姓貴族』作中の農業高校の描写などを読みますと、これほどまでに地に
足がついた教育環境も他にないし、一見すると「目で数えられるもの、触れる物がすべ
てですよ、絵に描いた餅は食えないよ!」という世界にしか見えないんですけど(笑)
何というか、スピリチュアルなものやオカルト的な要素はアリ一匹入り込む隙がない環
境なのかしらとさえ…(ごめんなさい;)
でも、違うんですよね。
鋼の作中には間違いなくスピリチュアルな息吹が存在しますし、「神」という現代では
もはやチープなイメージに成り下がった単語で言い尽くされた存在よりも、もっと高み
にあるもの……まぎれもない宇宙の法則の存在を背景に感じます。
私には、それこそが「等価交換を超えた世界」への、つまりお芋の収穫が2個でも10個で
も0個でも、ぜんぶ天からの贈り物として受け取りますという、名付け得なくて見えない
存在への無言の信頼みたいなもの、ではないかと思えるんです。
信仰、と言うとわずかに違う気がする。
やはり「無言の信頼」ですね。そこには依存する感情は含まれないのです。
その具体的な縮図が、お芋の収穫なのではないかと…(笑)


ですからやはり、最終話へ向けて「真理はただ正しい絶望を与えるだけの存在ではない」
と言い切りたいですよね。
だって人間の向上心や願いがすべて「思い上がり」「わがまま」と判断されて絶望に終
わる世界でなんか生きていられないし、実際に世界はそんなものではない。
グリードに言わせたら「欲する心、それすなわち願い」「欲に貴賤はねぇ」ってことに
なりますけど……実際に人間の欲がすべて人間の思い上がりであるはずがありません。
むしろ「等価交換を超えて」何かを手に入れたいなら、そこには必ず欲が…「願う」こ
とが必要だと思いますし。
では一体、どこからが「人間のわがまま」で、どこまでなら「わがまま」じゃないのか、
それとも「わがまま」を言った者勝ちなのか?
そして、作中でここまで人間たちが渾身の知恵と力をもって足掻いてきた結果、天から
贈られる収穫のイモとは一体何個なのか?
その疑問に対する牛先生からの解答こそ、私たち読者が最終話で確かめることになるも
のなのでしょうね。


そしてもうひとつ、人間に最も身近な「等価交換を超えた世界」とは、愛による無償の
行為だと思います。
先だってのユリイカ誌上での藤田先生と牛先生の対談(これもまだ感想書きたくて書け
てません;)の中で、藤田先生が指摘されていた通りですが……曰く、「(中略)でも
世の中には「情け」ってものもあるじゃないですか?だから、ギブ&テイクで引き換え
に何かを失うんじゃなくて、「いいよ、お前にやるよ」という愛もあるはずだと思って
…(以下略)」という部分ですね。
この「愛」もまた、物語が等価交換を超えて決着するために不可欠な要素。
それはきっと母性愛であり、家族愛であり、夫婦愛であり、若い2人の恋愛であり…
また一方では友情であり、人類愛であり、罪に対する赦しであり…
恐らくさまざまな形で、牛先生は私たちに「最後は愛が等価交換を超えるんだ」という
結末を見せてくれるに違いありません。
あるいはまた、1個のお芋を10個にして返してくれるのも、「天からの愛」だと言えなく
もないですよね?


というわけで。
最終話を10日後に控えたいま、この作品の連載を6年間見守ってきた隅っこサイトの主
として私の脳裏に去来するものは、他でもなく「お芋掘り」なのでした(笑)
ええ、そりゃもう、発売日は掘りますよ!!
畑に放たれた幼稚園生みたいに、もう最終話の端から端まで、全てを収穫します!!!

そして胸いっぱいに、この作品を丸ごと皮ごと、洗わないでぜんぶ愛でるのですv




(参考文献:『純粋な自然の贈与』中沢新一著、『ユリイカ』平成22年2月号)









文責:結城鈴々
2010/6/1